こんにちは、SHIKAです!
今回は、アドラー哲学の事を読み、嫌われる勇気という事に関心をもちましたので、自分の意義主張を書きたいと思っています。
私は、特にアドラー哲学を承認しているわけではありませんが、私は社会や生活においてどこか他者に嫌われたくないという気持ちを、無意識のうちに持ってしまっています。親に、会社の上司に、友人に等多くの関係の中で、私は嫌われる事から逃げ恐れてきたように感じます。何故、それを実感しているかというと、今、私は精神障害者だからです。勿論、健常者にもあてはまる事ですが、尚更今の自分であるからこそ思える所があるでしょう。例えば上司や身近な人に、明らかに間違った考えを押し付けられ、「それは間違いだと思います。」と言える人は何人いるでしょう・・・もっと社会自体が、指摘できる社会づくりは、絶対に必要であると思いますし、指摘できない社会は、危険を孕んでいると思います。私達はその様な事から逃げてきたかもしれません。子供社会でも同じ事が言え、いじめが増える原因にもなると私は思います。「やめてくれよ!」と抵抗できる子供は少ないと思います。精神障害者はどうでしょう?健常者の一部の人は、「あの人精神障害者だからね~」と言い始めれば、周囲も偏見という間違った同調を招きかねません。そして軋轢や摩擦を恐れて見てみてぬふりをし、自分を主張できない社会になっているという事です。わたしを敵視する人もいれば、支持してくれる人もいますし、承認もしてくれるはずだと思います。どちらにもいい顔しても、何も進まないです。そんなつまらない事に時間を費やし、悩むほうが無駄な労力だと思います。他人が自分を嫌うかどうかなんて、私には決められない事に私は気付かされましたから。
最後に
「結局あなた自身は幸せになる為、満足する為にどうしたいのか?」」という事に行きつくと思います。理想を現実にするには労力や、不安等、高い壁があります。そして勇気を持つ事が重要です。私にとっても、とても難しい事だと思います。(精神障害者という面で)しかし、自分が今直面している悩みと対峙し、今、自分が出来る事を精一杯やり遂げる事が勇気と幸せに変わると信じています。そして、貢献や協力また感謝の気持ちを持つ事は忘れてはならないと思っています。
大事なのは、今をいかにどの様に生きるかと、変われるのは自分だけだと思います。
偉そうな事言っってスイマセン(´;ω;`)ウッ…
少しでも3人の雑記ブログを読んで頂いて、気持ちが楽になったり、共感して頂ければ幸いです。
ではまた、SHIKAでした。(人”▽`)読んで頂きアリガトウ御座いました☆
少しでもアドラー心理学に興味がある人は、こちらがおススメです!